

2025年 / 11月10日
11月 つぶやき
AIの進化が止まらないようです。私も、AIを利用することがあります。それは、初めての内容の文書を作成したり、メールを送る場合です。AIに文書作成のサポートをしてもらうぐらいの使い方です。しかし、現在の最新のAIは、情報を検索・収集し、それを要約・分析したのち、新たな提案までできるようになっているそうです。そうなれば、もはやただのサポートではなく、優秀な弁護士やコンサルタント、研究者といった役割を担うようになるかもしれません。実際に、大きな会社の契約書のチェックの仕事において、弁護士がこれまで半日かけていた業務をAIはわずか10分で完了し、人間の作業は最終確認のみ。その結果についても、AIの間違いを見つける方が難しいと言われるほどの精密さだそうです。AIは、さまざまな分野の知識を持ち、その知識を使って新たなことを考えることができる創造性まで身につけてしまったようです。
コンピューターが、人間がこれまでやってきたさまざまなことをできるようになった今、人間がすることの意味や価値はどこにあるのでしょうか。その一つの答えを、最近見たスポーツの試合で感じました。MLBワールドシリーズ、ドジャース対ブルージェイズの試合です。興味のない方もいらっしゃるかと思いますので詳細は省きますが、にわかファンの私ですらすごく感動する試合でした。何百年経ってどんなに進化しても、この感動はコンピューターには作れません。それは、生きた人間の営みをその背景に感じるからではないかと思います。
これから時代が進み、いろんな仕事がロボットやAIに置き換わっていくでしょう。そうなれば、人間本来の“生きる営み”、服を着て、食事を食べ、家に住み、仲間と共に喜びを分かち合い、悲しみを共有する、そういったことが、より際立って重要になってくるのではないかと思います。どれほど進化しても、心を震わせる瞬間は、いつも「人の手」「人の声」「人のぬくもり」の中にあります。そして、子どもたちには、AIには決してできない“感じる力”“思いやる心”を育んでほしいと願っています。

